大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)1600号 判決 1986年2月20日
原告
神崎宏明
神崎富美夫
神崎柾子
右三名訴訟代理人弁護士
相馬達雄
豊蔵広倫
小田光紀
藤山利行
被告
松井秀二郎
被告
京聯自動車株式会社
右代表者代表取締役
川本哲雄
右両名訴訟代理人弁護士
立野造
主文
一 原告らの被告らに対する各請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告らは各自、原告神崎宏明に対し金一億〇五九四万七七五九円、同神崎富美夫に対し金七〇〇万円、同神崎柾子に対し金二五九万五〇〇〇円、及び右各金員に対し、被告松井秀二郎は昭和五九年三月二九日から、被告京聯自動車株式会社は昭和五九年三月三〇日から支払ずみまで各年五分の割合による金員を支払え。
2 訴訟費用は被告らの負担とする。
3 第1項につき仮執行宣言。
二 請求の趣旨に対する答弁(被告ら共通)
1 主文一、二項と同旨。
2 仮執行免脱宣言。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生と結果
(一) 日時 昭和五八年九月一三日午前一一時五〇分ころ
(二) 場所 京都市北区上賀茂十三石山九六番地三幸橋北方約八〇〇メートル先路上
(三)加害車両 普通乗用自動車(京五五う六六七〇号、以下「被告車」という。)
右運転者 被告松井秀二郎(以下単に「被告松井」という。)
(四) 被害車両 自動二輪車(大阪け一〇八一号、以下「原告車」という。)
右運転者 原告神崎宏明(以下単に「原告宏明」という。)
(五) 態様 原告宏明は、原告車を運転し、本件事故現場を南から北に向けて時速約五〇キロメートルで走行し、前方の見通しの悪い左カーブに差し掛かつて道路左側のやや中央寄りを減速徐行しながら進行したところ、前方(北側)から被告松井運転の被告車が道路中央付近を時速約四〇キロメートルで進行して来るのを発見したので、衝突を避けるべく急ブレーキをかけるとともに道路左端に進路を変更しようとしたが、急制動のあまり約六メートルスリップ痕を残しながら走行した後原告車からとばされて宙をとび、停止直前の被告車の前部と衝突した。
(六) 結果 原告宏明は、本件事故により、第六、七胸椎圧迫骨折、左橈骨コレーズ骨折、右手掌裂傷、頸椎捻挫の傷害を負い、原告車は全部損壊した。
2 責任原因
(一) 被告京聯自動車株式会社(以下「被告会社」という。)の責任
(1) 運行供用者責任(自賠法三条)
被告会社は、本件事故当時被告車を所有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、その運行によつて惹起された本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。
(2) 使用者責任(民法七一五条)
被告会社は、被告松井をタクシー運転手として雇用しているものであるが、本件事故は、同人が被告会社の業務の執行として乗客を乗せて被告車を運転中、後記過失により発生させたものであるから、被告会社において本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。
(二) 被告松井の責任(民法七〇九条)
被告松井は、被告車の運転して見通しの悪い「く」の字状のカーブになつている下り坂の本件事故現場に差し掛かろうとしていたものであり、しかも、以前からしばしば本件道路を走行したことがあるため、本件道路では自動二輪車等が高速度で、かつ、とりわけカーブ付近では道路中央寄りに膨らんで走行してくることがあることを認識していたのであるから、本件事故現場の手前で道路左側に寄り十分に減速・徐行するとともに前方の状況に注目し、もつて対向車両との衝突事故を未然に防止すべき注意義務があるのに、これを怠り、道路中央部を下り坂により加速された時速約四〇キロメートルの速度を減速することなく走行し、原告車の発見が遅れた過失により、本件事故を発生させたものであるから、本件事故により生じた後記損害を賠償すべき義務がある。
3 損害
(一) 原告宏明の損害
(1) 治療経過
原告宏明は、本件事故による前記受傷の治療のため、昭和五八年九月一三日から同月三〇日まで京都大学医学部附属病院脳神経外科に、同日から一一月二二日まで医療法人洛陽病院に、同日から翌五九年七月一四日まで関西労災病院に、各入院することを余儀なくされた。
(2) 後遺症
原告宏明は、第六胸髄以下完全麻痺、知覚脱失状態であり、自力では起立することも移動することもできない。膀胱・直腸にもバルーン留置したままで、排便時にも介助を要し、今後、仙骨部褥瘡について手術を要すること必至の状態にあり、右状態については回復の見込みがない。右状態は、自賠法施行令別表後遺障害等級表第一級に該当するから、原告宏明の労働能力は右後遺症により一〇〇パーセント喪失したものである。
(3) 慰謝料 一七五〇万円
原告宏明は、本件事故により受傷後右(1)のとおり入院治療を余儀なくされ、かつ、右(2)のとおりの後遺症が残存しているところ、その精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、一七五〇万円(入院分一五〇万円、後遺症分一六〇〇万円)が相当である。
(4) 逸失利益 四五〇一万四二五九円
原告宏明(昭和三八年一〇月二日生)は、本件事故当時まもなく二〇歳を迎える健康な男子であつて、本件事故に遭わなければ六七歳まで四七年間稼働することが可能であり、その間少なくとも月額一五万七四〇〇円程度の収入を得ることができた筈であるから、年別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故時におけるその逸失利益の現価を求めると、次のとおり四五〇一万四二五九円となる。
(算式)
一五万七四〇〇円×一二月×二三・八三二二(四七年のホフマン係数)=四五〇一万四二五九円
(5) 将来の入院雑費 九五六万三〇〇〇円
将来の介護料 三三四七万〇五〇〇円
原告宏明の平均余命は五五・四年であるところ、同人は終生入院生活を余儀なくされ、他者に介護されることが必要な状態であるから、今後入院雑費を一日一〇〇〇円の割合、介護料を一日三五〇〇円の割合で終生支出しなければならないことになる。したがつて、それらについて年別ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除して、本件事故時における現価を求めると、次のとおり入院雑費は九五六万三〇〇〇円、介護料は三三四七万〇五〇〇円となる。
(算式)
① 将来の入院雑費
一〇〇〇円×三六五日×二六・二(五五・四年にほぼ相当するホフマン係数)=九五六万三〇〇〇円
② 将来の介護料
三五〇〇円×三六五日×二六・二=三三四七万〇五〇〇円
(6) 物損 四〇万円
原告車は本件事故により全部損壊したので、原告宏明はその時価相当額である四〇万円の損害を被つた。
(7) 小計 一億〇五九四万七七五九円
右(3)ないし(6)を合計すると、原告宏明の損害額は、一億〇五九四万七七五九円となる。
(二) 原告神崎富美夫、同神崎柾子の損害
(1) 慰謝料 各二〇〇万円
原告神崎富美夫(以下「原告富美夫」という。)及び同神崎柾子(以下「原告柾子」という。)は、同宏明の父母であるが、同人には右(一)(2)のような死に勝るとも劣らない後遺症が残存したため、自らの経営する会社の跡を一人息子である同宏明に継がせたいという原告富美夫の希望が叶わなくなり、同柾子と共に終生同宏明の介護を余儀なくされることとなつたものであつて、その精神的苦痛を慰謝するに足りる慰謝料の額は、各二〇〇万円が相当である。
(2) 付添看護料(原告柾子分)五九万五〇〇〇円
原告柾子は、同宏明の前記入通院期間中昭和五八年九月一三日から翌五九年二月二九日まで一七〇日間同人の付添看護をしたので、一日三五〇〇円の割合で計五九万五〇〇〇円の損害を被つた。
(3) 弁護士費用(原告富美夫分) 五〇〇万円
原告らは本訴の提起追行を原告訴訟代理人弁護士に委任し、同富美夫においてその費用として五〇〇万円を支払うことを約した。
(4) 小計
原告富美夫の損害額は、右(1)(3)の合計七〇〇万円、同柾子の損害額は、右(1)(2)の合計二五九万五〇〇〇円となる。
4 よつて、被告ら各自に対し、本件損害賠償として、原告宏明は金一億〇五九四万七七五九円及びこれに対する被告松井については訴状送達の日の翌日である昭和五九年三月二九日から、被告会社については同じく昭和五九年三月三〇日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、原告富美夫は金七〇〇万円及びこれに対する被告松井については前同昭和五九年三月二九日から、被告会社については前同昭和五九年三月三〇日から各支払ずみまで前同年五分の割合による遅延損害金の、原告柾子は金二五九万五〇〇〇円及びこれに対する被告松井については前同昭和五九年三月二九日から、被告会社については同昭和五九年三月三〇日から各支払ずみまで前同様年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める。
二 請求原因に対する認否(被告ら共通)
1 請求原因1の事実のうち、(五)は否認し、(六)は知らない。その余は認める。事故態様は、後記三のとおりである。
2 同2の事実のうち、被告会社が被告車を所有し、同松井をタクシー運転手として雇用していること、同人の業務の執行中本件事故が発生したことは認めるが、その余は否認する。本件事故態様及び事故発生の原因は、後記三のとおりであつて、被告松井には何ら過失がない。
3 同3の事実は否認する。
三 抗弁(被告会社―自賠法三条但書)
被告松井は、被告車を運転し時速三五キロメートル以下の速度で本件事故現場に差し掛つたものであり、その際、見通しの悪いカーブを時速五〇キロメートル以上の高速度で進行してくる対向車両である原告車を発見すると同時に、左にハンドルを切り急ブレーキをかけたのである。ところが、原告宏明は被告車が道路左側端に停止する直前原告車と離れて宙をとび被告車の左前部に、原告車は転倒して被告車の右前部にそれぞれ衝突したものである。本件事故現場の道路幅員は約四メートルで、被告車の車体の幅は一・六四メートルであるから、被告車の右側に約二・三六メートルの余裕があり、原告が転倒さえしなければ、車体の幅が〇・六五メートルである原告車は楽に離合することができた筈である。このように、被告松井としては事故回避のために万全を尽くしたものであるから何ら過失はないというべきである。本件事故は、原告宏明が本件事故現場を走行するに当たり予め減速徐行すべきであつたのにそのような措置をとらないで高速で走行し、かつ、ハンドル操作の不手際により転倒したという被害者側の一方的過失によつて発生したものであつて、右のとおり被告松井に過失はなく、被告車の構造上の欠陥、機能上の障害の有無とも関係はない。
四 抗弁に対する認否
抗弁事実は否認する。
第三 証拠<省略>
理由
一本件事故の態様
請求原因1の事実は、(五)(事故の態様)及び(六)(結果)の点を除き、当事者間に争いのないところ、<証拠>を総合すると、事故の態様として次の事実が認められる。
1 本件事故現場は、京都市の北部三幸橋方面から雲ケ畑方面に向つて南北に通ずるいわゆる京都京北線の、京都市北区上賀茂十三石山九六番地三幸橋北方約八〇〇メートル先道路上であり、東側に緩やかな「く」の字形のカーブを描いている。事故現場付近は、南方向に約三度の下り坂となつており、道路の東側は山腹、西側は杉林であつて、前記カーブのため前方の見通しは悪い。本件道路では、最高速度が時速四〇キロメートルに制限されており、車両、歩行者ともに通行量は少ないが、時に自動二輪車、原動機付自転車が走行することもある場所であつた。衝突現場の道路の幅員は、約四メートルないし四・五メートルであり、路面は平坦で、本件事故が発生した昭和五八年九月一三日午前一一時五〇分ころは乾燥していた。
2 原告宏明は、本件事故当日、原告車(車体の幅〇・六五メートル)を運転して、本件道路を三幸橋方面から雲ケ畑方面へ北進し、時速五〇キロメートル以上の速度で道路のほぼ中央を走行して衝突地点に近いカーブに差し掛つた。その際同原告は、南進して来る対向車である被告車を約三〇数メートル前方で発見し、危険を感じて急ブレーキをかけたが、急制動のために五・七メートルスリップ痕を残して走行した直後原告車は転倒、原告宏明は車両から宙にとばされる形となつて、後記のように急ブレーキをかけて停止寸前であつた被告車の進路前方に落下するのと同時に同車の前部中央から左前部にかけて全身を衝突させた。一方、原告車は、転倒後路面を滑走し、被告車の右前部に衝突した。
3 被告松井は、乗客を乗せて被告車(車体の幅一・六四メートル)を運転して、本件道路を南進し、時速四〇キロメートル以下で本件事故現場に差し掛つた。同被告は、時速五〇キロメートル以上の速度で北進して来る対向車である原告車を約三〇メートル前方で発見し、衝突の危険を感じたので、とつさに左側にハンドルを切つて自車を道路の左端に寄せ急ブレーキをかけ、約一四メートル走行した後停止したが、停止寸前に、前記のように原告車からとばされてきた原告宏明が被告車の進路前方に落下するのと同時に同車に全身を衝突させた。衝突後、約〇・七五メートル進んで被告車は道路左端に停止した。なお、被告松井が原告車を発見した右地点より六・二メートル手前の地点で杉林の樹間を通して前方を見通していたならば、その地点から走行して来る車両を発見することも可能であつた。
被告松井本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲甲第五号証に照らして措信することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
二被告松井の過失の存否
原告は、本件事故は被告松井の過失によつて生じたものであると主張するので、以下この点について検討する。
本件事故現場は見通しの悪いカーブに近い場所であることは前記認定のとおりであり、また、被告松井本人尋問の結果によれば、同被告は、以前からタクシーを運転して本件事故現場のある道路を何度も往来したことがあり、その際、自動二輪車等がかなりの高スピードで右道路を走行して来るのとすれ違つたこともあつたことから、右道路の危険性につき認識していたことが認められるので、被告松井としては、本件事故現場に差し掛かる手前で減速・徐行するとともに前方を注視し、もつて対向車との衝突事故の発生を未然に防止すべき義務があり、かつ、同被告は右義務を懈怠したものといわざるを得ないごとくである。
しかしながら、被告松井が制限時速を遵守しており、急ブレーキをかけた後約一四メートルで停止できる速度で走行していたことは前記のとおりであるところ、原告宏明が原告車を転倒させ、同車両からとばされることなく、適切なブレーキ操作・ハンドル操作をしていたならば、原被告車がすれ違うことが可能であつたことは、本件事故現場の道路の幅員(約四メートルないし四・五メートル)、被告車の車幅(一・六四メートル)、原告車の車幅(〇・六五メートル)等から考えて疑いのないところというべきであるばかりでなく、原告宏明が被告車に衝突することもなかつたことは明らかである。すなわち、本件道路状況に鑑みても、被告松井としては、制限時速内のスピードで走行していれば、通常予見されるような対向車との衝突事故は回避することが十分可能であつたものというべきである。ところが、前記認定のとおり、本件事故は、原告宏明が時速五〇キロメートル以上の速度で本件事故現場のカーブに差し掛つた際、前方に被告車を発見して急ブレーキをかけたものの、高スピードであつたために首尾よく停止することができず、ハンドル操作の不手際も手伝つて、原告車は転倒、自からは車両より宙にとばされて、本件現場の道路左端に停止しようとしていた被告車の直前に落下してきた結果惹起されたものであつて、被告松井にとつては予想外の事故といわなければならない。したがつて、被告松井に減速義務違反の過失を認めることはできない。
また、被告松井が原告車を現実に発見した地点より六・二メートル手前で杉林の樹間を通して前方を見通していれば、その地点で原告車を発見することが可能であつたかについても、杉林の樹間を通してでは前方を見通し難いこともさることながら、原告宏明の走行して来た速度(時速五〇キロメートル以上)からすると、被告松井が右六・二メートル前の地点を通過した時点で原告車が同被告の視界に入るような地点を走行していたかどうか明らかではないから、被告松井に前方注視義務違反を認めることもできない。
なお、被告松井は、約三〇メートル前方に原告車を認めた直後に道路左端に車体を寄せるべく左にハンドルを切り、急ブレーキをかけて約一四メートルで停止しているものであつて、原告車を発見した時点以降に事故回避のためにとるべき措置としては、これ以外にはあり得ないというべきであるから、右時点以降の被告松井の行為についても過失を認めることはできない。
三被告らの責任
1 以上のとおりであるとすると、被告松井には、本件事故発生について過失が認められないのであるから、同被告に民法七〇九条の、被告会社に民法七一五条の責任が生じる余地のないことは明らかである。
2 被告会社が本件事故当時被告車を所有していたことは当事者間に争いのないところであるから、他に特段の事情の認められない本件においては、同被告は自己のために被告車を運行の用に供していた者というべきである。
ところで、原告宏明には、本件事故現場に至るに際して、制限速度を遵守するとともに、ブレーキ操作をしても転倒することなく走行すべき自動二輪車の運転者としての基本的な注意義務があるというべきところ、前記認定事実によれば、右義務を懈怠し、制限速度に違反して少なくとも時速五〇キロメートルの速度で本件事故現場に至り、急ブレーキをかけた際の反動で車両を転倒させた過失により、本件事故を発生させたものといわなければならない。そして、前記説示のとおり、被告松井には本件事故発生につき過失はないものであるところ、前記認定事実によれば、本件事故が被告車の構造上の欠陥、機能上の障害の有無と関係がないことは明らかであるから、結局被告会社は、自賠法三条但書により運行供用者責任を免れることになる。
四結論
よつて、原告らの本件各請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないというべきであるからこれらを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条一項を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官藤原弘道 裁判官加藤新太郎 裁判官浜 秀樹)